整体治療院(痛みの解放)・骨・靱帯・筋肉の調整・心と体のバランス調整・ ストレッチ・マッサージ・オイルマッサージ(身体、こころ、魂、スポーツ、食事について)
20年前の今日、私は山口県のチームでバレーをしていました。
早朝長い揺れがあり目が覚めましたが、治まったので起きる時間までもう一眠りしました。
起床してTVをつけ、早朝の地震はとんでもない地震だったと映像を見てすぐわかりました。

山口は特に被害もなく、いつも通りに練習に行き監督と色々な話をしました。
その週末のリーグ戦は大阪大会。今日は水曜日。
明日には移動して、土・日の試合に備えます。
こんな状況で試合が出来るのか?試合なんかしている場合なのか?
っと色々な事が頭を巡りましたが、結局協会の判断は試合開催でした。
日程の変更は難しいらしく、被災地に近い地へ試合の為出かけて行きました。

新幹線は不通でしたので、中国道を使ってバスで向かいました。
高速を降りて、兵庫を通り大阪の街中を走っている途中は本当に現場中継したいくらい緊迫した様子でした。
渋滞してノロノロ走っている横をバイクに灯油缶を積んだバイクが走り、屋根がブルーシートに覆われた家がだんだん増えていき、たくさんの人が歩いていました。
大阪の街に入ると車も人もまばらで、街は店が閉まって入れ暗く、歩いている人はリュックを背負って足早に歩いていました。

ホテルに着いてすぐ夕食でしたが、会場はバーも兼ねている様で棚にグラスは無く、落ちて粉々になったであろうグラスが拾い集められて、大きな袋にまとめられて隅に置いてありました。
物々しい雰囲気の中夕食を取り、いつもならコンビニに行ってちょっとした買い物などをするところですが、コンビニも物がなく早々に部屋で休みました。

試合の方は閑散とした中で行われました。
チームの本社が大阪にあり、本来なら会社の方や関係者の方が応援に来て下さったりしますが、会社もご自身達も被災されたり大変な事になっていたので、ほぼ観客席は人がいなかった様な記憶があります。

試合は無事に行われ、帰路に着きました。
帰りは堺港から高速艇に乗り、淡路島でそこからバスに乗り換えました。
あまり船など乗らない私達は、空いていて眺めの良い船の前方に陣取り座りました。
後になって分かった事ですが、後方の方が揺れが少ないのですね。
知らない私たちは途中から気分が悪くなり、だいぶ酷い船酔いしてしまい、散々でした。

20年も前の事ですが、そんな風に記憶の残っています。
余談ですが、その試合の対戦相手にめぐさんのチームもあり、20年前の大阪大会で同じ状況の中試合したのだね、と時々話します。
全く違うチームにおりましたが、今一緒に仕事しており、とても不思議なご縁と思っています。

震災で亡くなられて方のご冥福をお祈りすると共に、地震大国の日本でいつ起きるか分からない災害に対しての最低限の備えをしたり、風化させない事が、私たちに出来ることかなと思います。
Posted at 2015年01月17日 16時36分54秒  
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